青梅稲門会青梅再発見プロジェクト
「雪女の郷・旧調布村の探索」

青梅再発見プロジェクト「雪女の郷・旧調布村の探索」が、真夏とも思われる晴天に恵まれ平成29年5月20日(土)開催されました。
・午後1時30分東青梅駅に集合、参加者は立川稲門会より1名、昭島稲門会より3名、青梅稲門会より3名の計7名でした。

・東青梅駅をスタートして、青梅総合高校の南にある、河岸段丘の段差にほぼ直線につくられた水道階段を見学しました。昔は段の上にあたる場所には水が乏しく集落ができにくい環境だったそうです。

・段を下ったところは、他の地域に「天ヶ瀬」という地名があることから、「千ヶ瀬」の名前は、もとは「地ヶ瀬」だったのではないかというお話しでした。その先で青梅最古につくられたという立体交差をくぐりました。

・青梅は明治8年に青梅町になりました。当時は八王子についでの大きな町であったらしいです。青梅・成木の石灰は江戸城だけでなく、日光や二条城にも使われたほどの品質だったそうです。
・調布橋に到着しました。小泉八雲の怪談で有名な「雪女ゆかりの地」の石碑があります。雪女の伝説を語った住み込みの女中さんが千ヶ瀬出身?だったそうです。

・短期間だけ、駒木野から河辺までの多摩川流域の地区をあわせて調布村ができましたが、現在も調布の名前が残っているのはこの橋の名前くらいだそうです。
・現在の調布橋は3代目となりますが、初代の橋は、旧下奥多摩橋として移築されたそうです。
・渡し船への降り口となるところには、日枝神社がありますが、村社は千ヶ瀬神社ですので、日枝神社は村社ではないそうです。

・青梅で一番古い小学校、現在の青梅第二中学校の南に「調布村道路元標」があり、調布村があったことを証明しています。青梅第二中学校は、明治4年5月に協心神習舎として開校されました。

・玉川神社で休憩をし、下奥多摩橋を経由して、旧道跡を見学して解散となりました。

皆さん、お疲れ様でした。
大倉先生ありがとうございました。(当日の資料

当日の写真はこちら